この人生において、あきらめないでがんばる者は報われる。
 

縄文

  • 縄文スピリット
  • 縄文時代の日本、それは世界歴史上唯一 一万年以上戦争がなかった時代。

    狩りたい者が狩り、耕したい者が耕し、捕りたい者が捕る。一点の曇りもない純日本の文化、自由な時代。その自由さゆえに個々の文化レベルは高く、様々な日本の源流はこの時代に生まれたという。今は縄文スピリットに立ち返る時代。今こそ、みんながたすけあわなくてはいけない時代!縄文人みたいに。

  • 世界最古の土器
  • 後氷期の気候変動で大型獣が絶滅し、食物の中心は植物の管理栽培になった。時間をかけて煮込む料理には土器が必要。土器の発明は日本が一番古く、いまから1万6523年前といわれる(青森太平山遺跡)。縄文土器は草創期からサイズは大きいものもあり、装飾も立派である。土器製造技術は最古のものでも技術的に整い、それを支えた社会的基盤が確立していた証拠である。やがて器形やサイズ、装飾が多様化する。調理、貯蔵のほか徳利や祭器具、埋葬品があり、大量に生産されたことも分かっている。青森県三内丸山遺跡では前期から中期末までの約1500年間に使用された土器は300トンにもなると推定される。亀ヶ岡式土器は薄く、軽く細密な模様で鉄製品のように見える。やがて大陸よりろくろ、かま、陶器、磁気、染付けなどの技術がぞくぞく移入されたが、それらの技術を難なく受け入れ、更に深化させて独自の陶芸技術体系を作り上げていった。現代日本の製陶産業はチタニウムや珪素を原料にする「ニュー・セラミックス」産業として成功。その技術は世界の最高水準にあり、エレクトロニクスや宇宙開発に直結している。その伝統は縄文時代に源流がある。–塩澤宏宣

  • 四季
  • 日本人は自然の変化に敏感な民族といわれ、四季の移り変わりに応じて、衣装や家具をかえ、旬の食物をあじわい、風景の変化を楽しむといった習慣がある。俳句は季題があり、生け花、茶の湯でも季節感は最も重要なテーマである。

    日本列島は南北に細く長く連なっている。アメリカ大陸でいえばシアトルからメキシコ中部までという長い距離にわたる。冬期の気候を支配するのはシベリア気団で、バイカル湖からモンゴル付近の寒気団が周期的に日本を襲う。その季節風は日本海で対馬暖流の湿った空気をたっぷり吸い込み、列島の山脈にあたり大雪を降らせる。夏期は太平洋高気圧の影響が大きく列島に大量の熱と水蒸気が持ち込まれる。夏の初めには雨期がある。オホーツク海の冷たい気流と太平洋高気圧が列島上空でぶつかり梅雨前線が停滞して雨天が続く。その雨が日本の水田稲作を可能にした面もある。8~10月には南方海上で発達した熱帯性高気圧が台風となり日本を襲う。春と秋はそれぞれの激しい季節の間にあり、天候の変化は多いが、古来から最も過ごしやすいと好まれた季節である。この温暖な気候は産業の発達、文化の向上といった近代社会の実現のための自然的必要条件の一つだった。

  • 縄文土器の芸術性
  • Jomon Pottery

    縄文土器は15000年前に登場し、10000年以上の長きに亘って歴史を展開した。

    その間、北海道から沖縄南西諸島にまで、各地に時代毎の一定の気風を共有する80以上の様式の消長が繰り広げられた。

    縄文土器の原料は、言うまでもなく、それは粘土だ。粘土は可さく?性に富んでいて、心ゆく迄納得のゆくカタチを作ることができる。だから、縄文土器には作者の技術も癖もが自ら表現され、土器一個体がその作者に対応するのである。縄文土器のどれもこれも魅力的なのは、その背後に例外なく縄文人の意思がうごめいているからである。

    たしかに縄文土器には、侮り難い優れた造形力がみなぎっている。しかし、それが縄文土器の個体の評価のみにかかわるのではなく、むしろそうした縄文土器を生み出した文化的土壌と密接する問題であると看破するのが岡本太郎であった。縄文土器が考古学上の研究対象から解放されて、縄文人の文化、縄文人の心性にまで迫ろうとして瞬間であり、出発点となった。

    こうして、縄文土器は汎人類に普遍的な芸術の舞台に踊り出て、なお退けも負けをとることなく、むしろ芸術作品の代表格の一つに君臨させしたのである。ヨーロッパ旧石器時代の洞窟壁画の芸術性と並んで、つねに永遠の現在としての時空を超えた存在であることを改めて知るのである。

    縄文時代の遺跡は、全国に8万8千カ所と文化庁の試算があるが、中期以降後期、晩期の縄文時代後半期に限っては5万カ所を下らない。その一集落で製作された土器が10000点を越える場合もあり、縄文時代全般を通じて、五億点の縄文の土器が製作されたと大雑把に見積もっても許されるであろう。

    その全てが、芸術に値するわけでは勿論ないが、一際人目を惹く名品がある。

    国宝火焔土器にとどまらず、いま直ちに500点以上を思い浮かべる事ができる。決して独りよがりの好みにまかせるのではなく、芸術性において、その名に値するものだ。その他絶対多数を代表する名品というわけである。それには一定の基準を突破して合格したものでなくてはならぬ。

    その基準については、慎重な議論が必要であるが、ここでは、そうした基準をみごと達成して、筆者の心を捕えて止まない土器を5点紹介する。

    小林達雄
    国学院大学名誉教授
    特集 縄文土器の芸術性
    特定非営利活動法人国際縄文文学協会

  • 微隆起線文土器
  • brownvase

    縄文土器が世界に先駆けて日本列島に登場したのは、約一万五千年前のことであった。その造形において加除修正が自由自在な性質を最大限に操り、縄文人は自らの独特な感性を高らかに主張したのである。

    全体が流れるような優美な曲線を描いて、一分の隙(すき)もみせずに、厳然として立つ。日本列島は言うに及ばず、世界的にも他に抜きん出て最古の座に就く土器郡の中の一つである。

    土器の発明は少なくとも世界に三カ所はあると推定される。イラン、イラクの西アジア、中南米の太平洋岸からアマゾン川流域を含む地域、そして日本の縄文土器を筆頭とする東アジアだ。特に東アジアは、広大なユーラシア大陸の最果てにあって、土器つくりの着手は第二位の西アジアに三千年以上もの大差をつけて早い。その理由は依然としてはっきりしないが、例えば当時の日本列島には遺跡が多く、それだけ人口密度の高かったことを示している。多勢に無勢の“人口力”にこそ文化的活力と底知れぬ可能性があった。縄文土器の先進性の背景として無視できない。翻って、微隆起線文で飾られたこの土器の洗練さは古さを断然超越し、現代作品の新しさにも引けを取らない力に、縄文土器の美の源点を見る。

  • 顔面把手付深鉢
  • Deep pot with human face handle

    山梨県 津金御所前遺跡出土
    高さ 57.6㎝
    縄文時代中期(前2500〜前1500年)
    北社市考古資料館所蔵

     縄文人は、獣はもとより鳥虫、魚介、草木から山や雲や雨などにいたるまで万物に精霊を信じていた。アニミズムの世界である。土器や石器のほか、骨、角、牙(きば)、貝で作ったものもまた形を備えるや、たちまち命をもち、魂をもつ。だからアイヌの人々のように破壊した物をも丁寧にアノ世にお送りするというような儀礼を忘れなかったようでもある。現在の我々にしても床の本を踏みつけにしない、あの心根に通じているのだ。

     縄文土器も単なる物を出し入れする容器ではなく、生命あるいは土器魂が込められていた。そうした気持ちが土器の口縁部や胴に人体や顔面を表現したりする動機ともなったと考えられる。

     まん丸の顔が柔らかい球面状に作られている。つり上がった眼は険しさを表すのが普通なのに、この場合はかえって、小さく開いた丸い口とともにあどけなさを伝えてくれる。縄文人の穏やかな心のなせる技だ。

    黒色注口土器

    Black Spouted Vessel

    群馬県 今井東平遺跡出土 
    高さ 右:23.4㎝ 左:16.0㎝
    縄文時代後期 (前1500〜前1000年)
    嬬恋郷土資料館所蔵

     野焼きの縄文土器は脆弱(ぜいじゃく)で、少しの油断でもヒビが入ったり、毀(こわ)れたりする。それがそろいもそろって無傷で発見されたのは、運に恵まれたというより、縄文人が仕組んだからだ。つまり特別な石敷遺構に伴っていたところに意味があり、何かのマツリに重要な役割を演じ、最後まで丁重に扱われたからであろう。

     2つ1組というのも見逃せない。共同墓地の墓穴が東西と南北軸、ムラのゴミ捨て場が2ヶ所、竪穴住居が広場を囲んで2群に展開するなど、縄文世界には対照的な2つが共存する場合がしばしば認められる。いわば双分制あるいは双分原理を旨とする二項対立の世界観があったのだ。

     とにかく今風に言えば、この2つは土瓶である、ともに形態から文様デザイン、黒色の仕上げまでうり二つ。ただ、大小に差があるものの、夫婦茶碗を思わせ、それぞれの背景に人格をみる。

     問題は中身だが、ここはやはり果実酒と想像すると、改めて生気がよみがえるではないか。

  • 高杯
  • Goblet

    秋田県 大湯環状列石出土
    高さ 18.0㎝
    縄文時代後期(前1500〜前1000年)
    鹿角市教育委員会所蔵

     縄文文化は、中期の高揚ブームを経て、一見して地味傾向に転じるかの振りをして、とくに東北北部ではさらに注目すべき新しい動きが始まった。ストーンサークルの登場だ。

     その代表格が十和田湖の南に当たる秋田県・大湯環状列石であり、国の特別史跡に指定さえている。大規模でよく目立つ。この縄文記念物(モニュメント)の周囲から、通常の土器、石器のほか、土偶や石棒や石剣、その他の儀礼や呪術にかかわる祭祀(さいし)関係品が多数発見されている。

     土器にもひときわ目を引くみごとな数々があり、この高杯(たかつき)は優品中の雄。かすかながら赤色をまだらに残し、かつては全面真っ赤に塗られていたことを物語る。

     まず、すそ広がりの高い脚に特徴があり、その上にのる酒杯状の鉢が小さいながらも力強く外反して全体のバランスをよく締めくくる。

     また口縁部の3つの小突起に、「5」とともに縄文人がこだわった奇数への特別な観念の一端をあえて表現して揺ぎない。

  • 渦巻文土器
  • Spiral Pattern Pottery

    山梨県笛吹市 桂野遺跡出土
    高さ 59.2㎝
    縄文時代中期 (前2500〜前1500年)
    笛吹市教育委員会所蔵

    縄文時代は1万年以上もの長い歴史をもつ。その間、どこでも、いつでも大量に製作され使用された縄文土器の形や文様の様式の変化に基づいて、6期に区分されている。第1段階が草創期、次に早期、前期を経て、中期に達すると、縄文の”文化力”は全開し、全国的にめさましい活況を呈する。やがて後期に落ち着き、最終の第6段階の晩期で幕を閉じる。

     その中期に長野、山梨県を含む中部山岳地帯は未曾有(みぞう)の盛況を呈した。大規模な遺跡も多く、感性豊かな勝坂式に続いて曽利式土器文様を発達させた。

     これは曽利式。上半を欠きながらも、完全であれば軽く70㎝に達する大形品である。残念ながら、失われた口縁部の形態を容易には推定できない。こうした胴部全面に渦巻文をのたうち回らせる類似品が他に発見されていないからでもある。それにしても残存部だけで圧倒的な存在感の迫力があり、大きく毀(こわ)れてなお美に揺るぎがない。

  • コウモリ形土器
  • Bat-shape Pottery

    東京都 武蔵台東遺跡出土
    高さ 20.0㎝
    縄文時代中期(前2500〜前1500年)
    東京都教育委員会所蔵

     東京都・大森貝塚を発掘したモースは、二年後には「大森介虚(かいきょ)古物編」として報告書を刊行した。その短い年月の間に、土器、石器、骨角器をつぶさに観察しながら、いくつもの卓見を述べている。

     縄文土器の形態は千差万別、際限なきがごとく、文様もまた変化富んでいるが、植物意匠など自然を写生した、いわゆる絵画的要素が全然みられないと喝破した。まさに指摘の通りであるが、縄文人の表現力に不足があったわけではない。その証拠に今ではシカやサカナや人物の線刻画がごく少数ながら発見されている。つまり、縄文人の流儀にかかわる問題なのである。

     そして、また土器の容器的な基本を崩さずに、ムササビやイノシシに見立てるデザイン、あるいはアワビや巻き貝、クルミを半分に割った形の珍品が知られている。本例もまた翼を広げたコウモリだ。その影法師がおもしろい。竪穴住居の炉の明かりが作り出す、この効果に縄文人は気がついていたのか、どうか。

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