夢 (1) 陰府の声

最愛の父が召された後に見た夢は強烈だった。
父が亡くなった翌年の1978年に地獄の番人のような男の声を夢で聞いた。
辺りは漆黒の暗闇 底知れぬ深い穴の底から聞こえて来るような声に 
次はお前の番だぞ・・・と云われた。
幼少の頃は地獄や死を怖れていたが、その時 私は31歳 3児の母親だった。
そして、その声の主に平然と はい わかっています・・・・と答えていた。

私の父は類い稀な人生の歩み方をした人だった。その生き方や考え方は娘に多大な影響を与えた。その人が肝臓癌で死んだ。その死に方も又壮絶を極めた。
自らの意志でモルヒネ投与を拒否し敢えて痛みに耐えているようだった。
その昔、彼が愛したかけがえの無い人を手遅れのガンで亡くした無念さと心の痛みはいつまでも消えなかったようだ。父はガンと宣告されて何度も激痛に見舞われるが末期に至るまでその痛みに正気で耐え彼女の痛みを共有しているように思えた。そんな父の苦しみ方を目の当たりに見て死に向かう不安と恐ろしさがこんな夢をみさせたのか・・・・暗闇の底から聞こえてくるのは地獄の番人の脅しの声のようだった。

天国もあれば地獄もあるのは当然だろう。
地上の天国と地獄もあろうが、天上の天国、正しく神の御国は如何に・・・・と想像する。
その国は光の世界で、魂は5次元へ行くのだろう・・・と想像する。
ならば、地獄は耐えられまい 想像を絶する恐ろしさだろう。
人は生きている時、生かされている時に、天に徳を積み、いつあの世に向かわされても、天国への特別切符が手に入るように生きるのは大事。

人は天を仰ぎみて己を振り返り、信仰心を所持し人生の生き方に反映させねばならない。
飛躍する・・・・とは 不思議な夢の数々を世界の人々に伝える事でもあります。

何故なら その後 何十年後かに見る夢は 光の夢だったからです。

2010年12月7日 飛躍記

不思議な夢 その2 光

1988年2月11日 午前2時頃に見た夢。それは とてつもなく眩い光だった。
神々しく燦然と輝くその光は全方向を照らしていた。
私は不思議な光景に圧倒されながらも 見とれるように光一面の辺りを見回していた。
すると・・・・光の彼方から お声が聞こえた。
その声の主は《あなたは何故だかわかったでしょう。わたしの存在をしらせなさい。》
と、はっきり おっしゃった。
その御声は威厳に満ち、しかし、優しさと慈悲に満ち溢れた声だった。
声の主を神の声と直感した私はあまりの畏れ多き事態に驚愕しその場にひれ伏して神を礼拝した。そして畏まり即答していた。はい、神様。はい、神様。はい、神様。
三度も繰り返し神様にお答えしたこの夢は脳裏に焼きつき忘れようが無かった。

夢から覚めた現実の私は何もせず誰に伝えるわけでもなく 自分だけの秘め事にして普段と変わりなく過ごした。只、キリストを信じる者として 洗礼を受けただけだった。そして10年が経ち、全てが記憶の彼方へ去りかけた時、再び神秘体験をし、霊的な体験を繰り返しさせられ 否が応でもこの夢が思い出された。それは私の意図ではなく神の意図する所・・・と即、悟れた。よって、抗いようがなかった。人々に光の存在を伝え、神を証するのは 私の役目・・・とかろうじて受容し 意識するようになった。

宇宙を創造され 万物を造られた方は神ご自身に似せて人間も造られた・・・・と神の天地創造にある。そして、神様は聖書の約束通り、キリストを地上に送られた。
イエス・キリストは預言を成就し律法を完成し数々の奇跡を行い全ての人間の罪を一身に背負い購い主として御自分を神に捧げ人々を憎しみではなく愛へと導かれた。

キリスト教は世界中に伝えられ今があります。教会は荒廃し人々の愛は冷え神の教えも一部歪め伝えられ偽善もはびこる、今世紀こそ、素直に真実の神の声に聞き従うべきであろう・・・・と思えます。それは全ての宗教宗派の教学を超越したところにおられる全能の主の御声に聞き従い光の導く世界へと静かに耳を傾けるべき時・・・・だと思うのです。

飛躍は何もしません、出来ませんが、神様が飛躍を用いて下さる限り、主の存在を全身全霊かけて全力でお伝えしてまいります。

この夢は昭和天皇が崩御され大葬の禮の取り行われた寒い日の夜に見た夢でした。

不思議な夢 その3 人々 人間とは

何ら特徴のないゆるやかな丘の上で私は大勢の方たちに囲まれていた。
私を取り囲んだ人たちは時代を超えた様々な服装をした人々だった。
誰もが狂喜して嬉しそうに迎えてくれ何やら儀式が始まろうとしていた。ちょうどその時、男が1人鉄砲を持ち乱入してきた。その人達は全員逃げ出した。私もその見知らぬ男から逃げた。しかし、次の瞬間、彼は私を殺しに来たのだ・・・と思え 周りの人達にその人を殺すのは止めて下さい・・・・と叫んだ。しかし、遅かった。その男は撃たれた。
私は彼の所へ駆けより その人は私の腕の中で死んでいった。その人を抱きかかえ、助けられずにごめんなさい・・・・と謝っていると、男の体はみるみる小さくなり、胎児となり わたしの手のひらに乗るほど小さくなった。
傍に流れる水があり、赤ちゃん胎児となったその人を、そっと水の中へと放した。
そこで 夢から覚めた。

何とも不思議な夢だった。これは何を意味するのだろうか。水に放つとは、その人が清められたという意味なのか 因果応報を伝えているのか 主の霊でつながっていると伝えているのか 私は霊的な世界を信じるだけで 5次元の世界を知らない 知る事はキリスト以外許されていないから。只 創造主という霊なる父なる神様がいらして イエスキリストがおられて 私達が聖霊を受ける事が出来る人間だ・・・という事を知るだけです。 

しかし、全知全能の主は全てを掌握しておられます。
神様には主の絶対なるご意志、人類を救いの完成へと導き 新天新地をこの世に建設するという壮大なプロジェクトがおありです。そのご計画の下に、私達は神様のお道具の一つとして用いられ、いつか 全てを明らかにして下さる主の下で
喜んで働くだけです。人を頼りにしてはいけません。人はあてになりません。

自分の為すべき事を為した後は天にお任せです。主がその人にとり最善をお与え下さるでしょう。よって、主の御心を行いましょう。

2010年12月7日 飛躍記 蓼科にて

不思議な夢 その4 火山の大噴火

すさまじい轟音を闇の彼方に聞いた。
その音に振り向くと遠くにある山が大爆発を起こし巨大な火柱を上げていた。
あー終に来た。神様が怒っていらっしゃる。私は間に合わなかった。人々に十分知らせてあげられなかった。大変だ。どうしよう。何をしたらいい。遠くの山の爆発なのに、大勢の人々が、流れ出る溶岩に巻き込まれて行く様子が至近距離で見えた。
人々が泣き叫び逃げ惑う様子が手に取るように見えた。私は自然の怒りの前に為すすべもなく呆然と立ちすくんでいた。ついに来たのだ。神様が預言者に言わせていたことが現実に起こっているではないか。全部本当だったではないか。聖書にある通りだった。
遠くで噴火した火山の溶岩が、だんだん 私の方へ近づいて来た。そして他人事ではなくなった。巻き込まれる寸前で、とっさに お祈りをしなくては・・と思った。
私は手を合わせ 今からお傍へまいります。素晴らしい人生を有り難うございます。
神様、飛躍が出来なくてごめんなさい・・・・と言っていた。そして観念した。すると、私の真後ろでその溶岩は跡かたもなく消えていた。私は 助かっていた。
そこで 目が覚めた。

これも不思議な 不思議な夢でした。やはり2005年前後に見た夢だと思います。
私は焦っていた訳ではありません。神様の言葉を伝えるのに急いでいた訳でもありません。
その時は全て神が決められる。そのご縁は全て主がご用意されると理解するからです。
救われるべき方が救われるのだろう。主の選ばれた人達が主の下へいくのだろう。
私がどうこうしても出来る範囲は知れているのです。飛躍は淡々と仕事をこなしていくだけです。火山の噴火 自然災害 天変地異など人間の及ぶ範囲ではありません。飛躍は人々に警鐘をならすだけです。他の方達もしているように・・・・

神様は《わたしの存在を知らせなさい。》と以前におっしゃった。夢は見るだけではなく、見させられるのです。生ける神の偉大さは確実にご意志があることです。
聖書は神様の物語としても知られています。その聖書をもっと多くの日本人に読んで頂きたい。何故なら 日本は隠された聖書の国であり 神の言葉を受け継ぐ民族であり 世界を平和へ導くのは この東の国 地の果て 日出る国 日本とユダヤ エフライムとユダで イスラエルの全家だからです。
聖書は最古の書物で世界の人々が読む良心の書であり命の書です。
どうぞ、聖書を読む静かな時間を日々の生活に取り入れて下さい。
2010年12月7日

不思議な夢 その5 巨大な蛇

見覚えの無い日本家屋に私は1人いた。空き家となり 誰もいない その家の押し入れを開いた。すると中に一匹の巨大な蛇がいた。
太った大きな蛇が鎌首を挙げじっとこちらを見ていた。
私は思わず戸を閉めた。次に開いた押入れには蛇が2匹いた。
又 次の間の押し入れには蛇は3匹に増えていた。
さらにその数が増していくので、私は恐る恐る しかし好奇心で家中の扉という扉を開け、蛇の有無を確かめて回った。案の定 開くどの扉も 中は大きく太った巨大な蛇で一杯だった。家中が蛇だらけだった。その蛇たちが押し入れから出てきた。それはすごい数となり、こちらへ向かいジワジワ進んで来た。どの蛇も鎌首をあげ飛びかかれる態勢にあった。蛇は大嫌いだが、不思議に怖くなかった。しかし逃げねば襲われる。急いで逃げようとする中、頼りない姉が突然あらわれ ウロウロしていた。わたしはとっさに 隣家の塀を超えて逃げるよう彼女に指示した。何度も失敗する彼女を支え やっと彼女が隣家の塀によじ登れた。今度は自分が逃げる番と思えた時、蛇の赤ちゃんが 私の踵をかんだ。あーやられた・・・・と思った瞬間 そこで 夢が覚めた。

邪悪の象徴である蛇 人々の忌み嫌う蛇 呪われた蛇 聖書にある蛇は狡猾です。甘い言葉でささやき 人をだまし 自分に従わせるのです。蛇は悪魔の化身 それが この世を支配するようではいけません。

この地球や宇宙や自然は神様により造られ、私達人間の心も深奥は美しいはずです。悪魔が作るのは 醜い悪魔だけです。
善と悪が真逆にあるなら、人は真・善・美で神と一体と 一つとなり 一致団結して 愛と正義と真実を表現しなくてはなりません。

不思議な夢 その6 空中散歩

昔見た夢は大方忘れたが、若い頃から空を飛ぶ夢は繰り返し見続けた。夢と言えば 空を飛んでいた。しかし、その夢はどれも自由に飛べず、最後は力尽きて必ず下へ落ちていく・・
苦しい夢で終わった。それが 最期に記す夢は自由自在に何処へでも、好きなだけ飛んでいけた。下界を見下ろしながら 空中散歩を楽しみ 私の後ろには小動物までついて飛んでいた。私はその小さな生き物を時々振り返りながら、手を広げてピーターパンのように飛んでいた。とても気持ちがよく終に自由に空を飛べるようになった・・・と実感していた。最良の降りる場所を探し 誰もいない草原にふわり着地した。すると 続いて小さな生き物も後方で着地した。そこを すかさず 小さな蛇が待ち構えていたかのように 彼を呑み込んだ。私は予期せぬ出来事に ギャーと悲鳴をあげた。そこで目が覚めた。

この夢を最期に覚えている夢は無い。夢は見ない方だから。
不思議な夢の数々 あなたは 何と感じられますか?
人の夢として自分に関係ない・・・・と片付けますか?
それとも、今一度 人生を深く考えてみようか・・・と思われましたか?

人夫々夢があります。飛躍には個人的な夢もありますが、世界の皆さんと共有出来る夢もたくさんあります。飛躍は宗教を伝えているのではなく、道徳心や倫理感を植え付けようとしている訳でもなく 私は人間の根底に潜む信仰心を掘り起こそうとしています。

愛がなくては 全てが虚しい。どんなメッセージも騒がしいシンバルと同じです。
世界を平和へ誘う一翼を担うのは日本であり 私達のこの時代なのです。日本から発信する良きメッセージ、平和への提言 提案は世界の人々に大きな影響を与えるはずです。

この世界に国境が無いのは愛の様々な形と芸術と音楽と文化だけでしょう。
神様は私達に素晴らしいものを夫々に与えて下さいました。その才を生かし、共に働き
この世界をより良い形へ 次世代へと繋いでいこうではありませんか。

全ての人々が心の自由をもち、天空の大空を心で飛べるように あなたや私が努力すればいつか それは 叶うでしょう。