神の下へ飛躍して終りに
人は神々しく 未知なる存在 唯一無二の絶対に対して畏敬の念を抱く。
ご計画どおり 天地創造を成し 人を自分に似せて造られたサムシンググレイトは
歴史や科学を通して 神が人々と社会に介入して来た事実を伝えている。
聖書を読むと、思いを常に実行して来た 神の堅固な意思が随所に記されている。
ユダヤ教 キリスト教 イスラム教がアブラハムを父祖としながら、ユダヤ教はモーセの律法を キリスト教はイエスの愛を イスラム教はムハンマドのコーランを信じ、神の教えを絶対視しながらも互いに譲らず反目してきた現実がある。
聖書やコーランは 神が特別に選んだ方を通して伝えた聖なる書物だろうが、最近の比較宗教学界は [神聖なるものは世界のどこにでも現れるはずである。宗教 宗派の違いは、それを受け取る側の民度の違いによって生じる]と結論した。
いずれの宗教も完璧な愛と施す慈悲について言及しているにも拘らず、地球には戦争が絶えない。平和の君 主イエスは降臨したが、世界に平和は遠く 未だ来ない。
民度が低く個々の精神的向上が成されていないのは 大きく原因しているだろうが、
聖書による 神のその日、その時・・・が世に満ちていないからだろう。
神の御心は その存在を万人に知らせ 人々を目覚めさせ 善へと導く事と思う。
凛子の見た神は 神々しい光 輝く光そのものだった。
その光に意思があった。
“私の存在を知らせなさい。”・・・・と光が声を発した。
その声に強い意志を感じた。
凛子は純粋な日本人。
日本には国体として皇室・神道があり又言語に言霊を持つ。
古代より伝わる神話と独特で異質な精神文化があるのだ。
そして外国より伝来した仏教を神道と共に祀るという柔軟な側面を国民性に持つ。
これらは一神教の立場からすると 曖昧模糊として 信仰する対象が定かでないと映るのだろうが、そうとばかりは言えない。
仏教の大日如来は聖書における創造主を顕し 大日如来によって 釈迦やキリストイエス・ムハメッドは衆生を救う為に人間社会にやって来られた・・・と解釈する。
この真言密教の考えは1200年前に 長安より空海が日本にもたらした。
この全てを包括するような 密教の考えは世界を一つに導く大きな思想だろう。
そして 聖書的考えからすれば 封印された事実は 隠されたまま 黙示のままで終わるはずが無い。
いずれ、時が来れば 全てが 明らかになるだろう・・・と凛子は確信している。
だからこそ 今という これからの時の為に 創造主なる万能の主は 日本と云う国を2600年も昔、東の地に造っておかれたのだ。東洋と西洋 男と女 陰と陽 月と太陽 プラスとマイナス どれも二つで一つのセット、これをもって 完璧で完全と成す。
大多数の日本人が、自分達は聖書と無縁の人々と思っている。
しかし 果たしてそうだろうか?人は神を自分の神様として信仰する。
しかし、神は自分の神 あなたの神ではない みんなの神様 これが最も近い。
新しい光の時代には 新しい価値観と新しい思想が生まれる。
20世紀後半に その時代は到来し 多くの目覚めた人々が本に著わしている。
凛子は宇宙の創造主 絶対主を こよなく愛しその存在を信じている。
あなたは如何に思われますか?イワシの頭も信心から・・・と思う類の方ですか?
あなたの日頃持つ疑問に この本がお役に立てたら幸いです。
2009年10月6日 2015年8月3日
著者 車戸凜子